『負けず嫌いで見栄っ張りだった僕が、悔し涙を乗り越えて、関西学院大学に合格した話。』

諸石順也さん

関西学院大学 社会学部

大野雅弘校長

坪田塾 星ヶ丘校 校長

現在、関西学院大学で学ぶ諸石 順也(モロイシ ナオヤ)くんの出身は、坪田塾創業の地である名古屋市。映画「ビリギャル」のモデルとなった小林さやかさんの直筆サインが飾られている星ヶ丘校を卒塾し、関西学院大学に進学しました。みんなから頼られる学校のリーダータイプの諸石くんは、とても爽やかな好青年で、インタビューにも終始、明るくはきはきと答えてくれました。

そんな諸石くんですが、受験勉強では何度も悔し涙を流すことがあったといいます。涙とともに人間的にも大きく成長したストーリーを、諸石くんの担当講師であり、自身も坪田塾の卒塾生である大野先生と一緒に振り返ります。

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「恰好つけ」が災いし、クラスのトップから転落した高校時代

仲間のために力を尽くすのが好き。場の盛り上げ役で、小学生時代は生徒会長を務めたこともあったという諸石くん。子どもの頃から周りに頼られ続けてきた弊害か、当時の諸石くんには、「できない」「わからない」が言えないという見栄張りなところがありました。

「要は『格好つけ』なんですよね。公文式に通っていたので、小学校時代はわりと勉強ができたんです。だけど高学年ぐらいからかな、算数の授業でわからないことが出てくるようになって…。でも周りには『なるほどね』なんてわかったふり。それが重なって中学生になるとどんどんボロがでてきたんですよ。『このままでは高校受験もヤバイ!』と内心焦っていました」

合格体験インタビューに答える生徒

そんな中学生の諸石くんが頼ったのが坪田塾でした。

実は10歳以上離れたお姉さんとお兄さんが大学受験で坪田塾を利用し、合格を手にしていたのです。お母様も坪田塾を信頼されていて、「徹底的にやってください!」と高校受験までの1年間、諸石くんを通わせてくれました。

坪田塾は、知識をインプットすることにとどまらず、アウトプットするところまで重視した学習メソッドを実践しており、身に着けた知識を人に説明できるレベルになるまで、とことん理解を深めていきます。諸石君が予習してきた内容やチェックテストの回答に対して、「なんでここはこうなるの?」「どうしてこの選択肢にしたの?」と、次々に質問を投げかけてアウトプットを促していった先生。本当に理解できたかどうか怪しくても、「わかりました!」と曇りのない眼で答える癖があった諸石君ですが、わかったつもりになっていただけで、実は理解できていなかった部分がどんどんつまびらかになっていきました。

負けず嫌いな諸石くんは、先生からの質問に答えられない悔しさを原動力に、塾のない日も図書館に通って歯を食いしばりながら問題を解き、いつの間にか苦手を克服。第一志望だった地元の公立進学校に合格することができました。

ですが高校に進学し、今度はその成功体験が仇となってしまいます。

「坪田塾に通ったことで勉強の基礎はできていたので、高校1年の頃はクラス1位を取れたりと絶好調でした。 ただ、サッカー部の活動がかなりハードということもあり予習・復習の余裕は全然ありませんでした。定期考査中も練習があって、一夜漬けのような形で勉強するのがやっとで…」

と話す諸石くんは、中学時代を再現するかのように徐々に授業についていけなくなり、高校2年の頃にはまたもや置いていかれがちに。「坪田塾に行けばなんとかなる」と思ってはいたそうですが、部活を優先するあまりタイミングを逃し続け、高校3年の春になってふたたび、星ヶ丘校の門を叩いたのでした。

 

「部活いつ辞める?」問題で揺れた春夏

最初は週3回×2時間のライトな通い方からスタートし、苦手な数学と英語をメインに、基礎固めに取り組み始めた諸石くん。

担当となった大野先生は、入塾時の学力診断テストから

「知識はある程度定着している。だけど回答につながっていないので、受験に向けては力が足りていない状況」
「この1年を相当に頑張らないと合格は簡単ではない」

と、当時の志望校である名古屋大学工学部のレベルを踏まえて、諸石くんの実力を冷静に分析していました。

合格体験インタビューに答える講師

また、坪田塾では入塾時に性格診断テストを行い、生徒さんの性格タイプに合わせた指導に活用していますが、そこで出た諸石くんの性格タイプは「堅実家」と「献身家」でした。

「堅実家」タイプとは、コツコツ物事を進めることが得意で、計画通りに物事が進んでいることに喜びを感じるタイプ。「献身家」タイプは、周りが良く見えていて気が利き、人に感謝されることに喜びを感じるタイプです。

大野先生は当時の諸石くんを

「人からどう見えるかを気にするタイプで、失敗に対して怖がりな面がある。一方で、人に気を配って周りに貢献できる人間的な素晴らしさを備えていて、サッカー部の仲間に対する想いも熱い子だ」

と分析。とはいえ、春時点での学力を踏まえる限りでは、諸石くんがこのまま部活をハードに続けながら国立大を狙うのは、非現実的な選択と言えました。

「冬の選手権までサッカーを続けたいという彼の気持ちを尊重したいけれど、志望校を目指すうえではどこかで決断してもらう必要がありそうだ」

とも考えていたと言います。

部活や行事など学校生活に情熱を注ぐことは、人間的成長からみても大切なこと。一方で10年後・20年後を考えたとき、部活を優先して現役合格を逃すことが将来にどう影響していくか。答えのないこの問いについて、

「大野先生と、たくさん話し合った」

と諸石くんもうなずきます。

諸石くんには譲れない一線がありました。理性では部活を早く引退するべきだとわかっていても、小学生の頃からサッカーを続けてきた自分にとって、夏のインターハイと冬の全日本高校サッカー選手権出場は幼いころからあこがれてきた夢の大会。そしてようやくスタメンのチャンスが巡ってきたのが、高校3年の夏のインターハイだったのです。

結果的にインターハイ予選で敗退するまで部活を続け、諸石くんが引退したのは7月の終わり。

受験生にとって勝負の夏が、半ば過ぎようとしていました。

 

文転で戦略を見直し。基礎を復習しながら過去問で力を磨く

ようやく受験勉強に本腰を入れる態勢が整った諸石くん。

この頃、部活引退に合わせて心境の変化がありました。理系学部から文系学部への進路希望変更、いわゆる「文転」です。もともと家庭への負担を考慮して国立大学を志していた諸石くんですが、学部については「なんとなく」の工学部志望でした。ですが、坪田塾で自分自身を見つめ直したことで、心理学やコーチングに関わる学びを通して、人の役に立つ働き方をめざせる文系学部を志向するようになったのです。

文転の意思を聞かされ驚いた大野先生でしたが、前向きな理由に納得。改めて文系の学部で目標を再設定し、「関関同立に合格できるところまで諸石くんの学力を引き上げる」ことをゴールに設定したと話します。

もちろん、課題もありました。遅くとも受験年の6月までに基礎を終えておく坪田塾のセオリーからすると、圧倒的に時間が足りなかったのです。

そこで諸石くんは、大野先生とともにご両親へコース変更を相談。8月から毎日坪田塾に通うことにして、基礎固めと並行しながら応用問題で実力を磨き、比較的解きやすいレベルの過去問に挑戦していきました。これは、難関大学の入試攻略に欠かせない、論理的思考力や記述問題への応用力を磨くための学び。先生とのディスカッションで、悔し涙にくれる日々が再び始まったのでした。

合格体験インタビューに答える生徒と講師

 

泣いて、泣いて、悔しさをバネに短期間で成長

坪田塾での学習方法は、他塾とは少し違います。あらかじめ自宅で予習をした上で、塾ではチェックテストを通して学んだことをたくさんアウトプットし、定着度を確認します。ここでポイントとなるのは、単にテストを採点してもらうだけでなく、マンツーマンで先生とディスカッションを行うことです。自分自身の言葉で問いに答え続けることで、単純記憶に留まらず、本当の意味での知識定着と思考力を育んでいくことができるのです。

「ディスカッションで多いのが『この問題、どう解いたの?』と先生に聞かれて、僕が説明するパターン。この時、説明に詰まっても先生が答えを教えてくれることは決してないんです。その代わり、『テキストのここを見てもう一度考えてみようか』と」

「もちろん、これは先生が意地悪でやっていることではないんです。自分で気づいて、自分で考えて、自分の言葉でアウトプットできるようになって初めて、本番で発揮できる力を身につけることができる。だから、先生は常に僕の理解度を見極めながら絶妙な質問を投げかけてくるんです。ただ・・・質問が来ることは分かっているのに答えられないことがあると、それがもう悔しくて悔しくて(笑)」

と当時を振り返って苦笑する諸石くん。負けず嫌いを発揮して、「次こそは!」と何度も先生に立ち向かっていたそうです。

合格体験インタビューで笑顔を浮かべる生徒

あるときはあまりの悔しさに涙を抑えることができず、迎えにきてくれたお母様の車に泣きながら乗り込んだこともあったとか。ですが坪田塾を信頼していたお母様は、一切心配されなかったそうです。

また諸石くん自身も、

「ここはできているよね。残っている課題はこっち。こっちを乗り越えたら次のテストで点数上がるよ」

と、まるで予言のように道筋を示してくれる大野先生を信頼していたため、その期待に応えたいという気持ちで頑張ることができたと言います。

一方の大野先生は、諸石くんの成長に合わせて、徐々にディスカッションのレベルを高めていきました。例えば、「この問題ってどう思う?」とあえて答えづらい問いを投げかけてみたり、「学校の先生になったつもりで、この部分を僕に授業してみて」といった具合です。

そうしたやり取りを通して、諸石くんの解答の記述が洗練されていったのはもちろん、出題者の意図を把握して問題に取り組めるようにまで成長していきました。それこそが、難関大学攻略に必要な「考える力」であり、真の学力と言えるものだったのです。

合格体験インタビューで受験当時の学習を振り返る様子

 

坪田塾長直伝のリフレーミングで合格をつかむ

そのようにして学力を順調に伸ばしていった諸石くんですが、メンタルが不安定になった時期もありました。それは9月から11月にかけての秋シーズン。模試がE判定続きだったこと、また文化祭の準備でギクシャクしたクラスの仲裁に追われたこともあり、イライラが募っていったのです。

ですが、受験生の不調は諸石くんに限ったことではありません。

「秋は特に、『夏あれだけ頑張ったのに…』と、結果がついてこないに心が折れやすくなる時期なんです」と、大野先生も話します。

先取り学習が当たり前の私立校であれば、秋口にはある程度結果が出てくる傾向があります。一方、公立校に通い、かつ部活で本格的な受験勉強開始が遅れた諸石くんのようなケースでは、努力が模試判定や点数といった結果に結びつきだすのは、もう少し先のことなのです。

そのことを踏まえて、不安が出やすいこの時期、坪田塾の先生たちは生徒一人ひとりにあった言葉がけでモチベーション維持に努めます。諸石くんも大野先生から

「今の君はリフティングやパスの練習を重ねてようやくレギュラーに上がったところ。試合に出てすぐに点を取れなくても当たり前だよね。むしろ、自分に足りないものがはっきり理解できるレベルにまで成長した、と言えるよね。このレベルまで来れたということは、ここから先の成長は加速度的だよ」

と言われたことで、心がスッと落ち着いたのをよく覚えていると話します。

諸石くんの努力が実を結び、結果が伴うようになってきたのは12月に入ってから。志望大学こそE判定続きでしたが、共通テストの結果からA判定を取れる大学も出てくるようになり、学力の安定が見られるようになってきたのです。

しかし一般入試直前になって、不安が止まらなくなりました。もともと模試でも周りが気になってしまい、緊張から実力を発揮できない傾向にあった諸石くん。周りがみんな賢そうに見えて、失敗したらどうしようと視野が狭くなりかけていました。

そんな諸石くんに大野先生が伝授したのが「リフレーミング」と呼ばれる心理学由来のテクニックでした。視点を変えることで、物事の解釈をポジティブに変換するこの思考方法、実は大野先生自身が坪田塾の塾生だった15年近く前に、「絶対に緊張しない方法を教えてください!」とお願いして坪田信貴先生から教わった、直伝のテクニックだったのです。

合格体験インタビューに答える講師

「リフレーミングのおかげで、試験会場でも天井から俯瞰して見渡すような視野を保つことができて、落ち着いて受験することができました。特に関西学院大学の受験は、苦手だった数学の記述まで上手く書くことができて、自分的には完璧だと実感。本命の社会学部を含め3学部を受験したのですが、すべて合格を確信していました」

そんな本人の実感値通り、お母様と一緒に確認したオンラインでの合格発表は見事、全学部合格。喜びの涙を浮かべるお母様の横で、笑顔で合格の画面を撮影した諸石くんは、その画像を大野先生に送信したのでした。

 

坪田塾でアルバイトをはじめ、中学生から頼られる存在に

現在、関西学院大学2年生の諸石くんは、学部の授業はもちろんのこと、「キャンパスを出て、社会に学ぶ」をコンセプトとする学部横断型プロジェクトにも参加し、レポートやプレゼンテーションに追われる忙しい日々を過ごしています。

「残念ながら名古屋大学は不合格で、浪人するか悩んだ部分はあります。ですが、奨学金で関西学院大学に通う道を選びました。うちは決して裕福な家庭ではなく、わりと無理をして僕を坪田塾に通わせてくれたので、なるべく親に負担をかけることなく、現役で社会に出たいなと考えたからです。だから大学でも可能な限り有益な授業をたくさん取って、無駄な時間は過ごしたくないなと考えています」

そう語る諸石くんは、大学の近くにできた坪田塾西宮北口校で、1年生のときからアルバイトを始めました。坪田塾の指導に魅力を感じていた諸石くんは、星ヶ丘校に通っていたときから自分も指導する側に立ってみたいと考えていたのです。

そして諸石くんは、ある中学生の女の子に出会います。まるでかつての自分のように数学が苦手。でも進学校の特進コースに進みたくて、坪田塾にやってきた子です。

そんな彼女に、「僕に授業をしてみて」と大野先生直伝のディスカッションを交えて数学を指導し、時には自分の実体験も伝えながら彼女の頑張りを引き出していくうちに、受験直前には「諸石先生に数学を担当してほしい」とご両親から依頼されるまでになったそう。もちろんその中学生は無事、志望校の特進コースに合格。

高校時代はビリだった諸石くんですが、今や中学生たちからヒーローのように頼られる大学生となったのです。

「すごいじゃないか!」と大野先生から称賛を受け、照れ笑いをこぼす諸石くん。

「格好つけ」から「本当の格好良さ」を身につけた彼の、今後の成長が楽しみです。

合格体験インタビューの最後に談笑する生徒と講師

 

講師コメント

大野雅弘 星ヶ丘校校長

合格体験インタビューに答えた講師

久しぶりに諸石くんと会い、現在の活躍を聞いて、彼が合格した時以上の喜びを感じました。坪田塾が掲げるクレド(信念)には、「世界を築き上げていく人材を輩出する」という一節があるのですが、諸石くんのように、当塾での成功体験をもとに謙虚に継続して学び続け、活躍している卒塾生がいることが私たちの喜びです。もしかしたら諸石くんが30代になったら、今の私を超えているかもしれませんね。私も負けず嫌いですので、そうはならないよう共に切磋琢磨し、自分を成長させていきたいと思います。