『中高の受験を頑張り切れなかった僕が、「落ちたら就職」の覚悟で大学受験に臨み、中央大学に進学した話。』

浅賀捷(アサガショウ)さん

中央大学 国際経営学部

阪本将士先生

坪田塾 北浦和校 講師

「大学受験で落ちたら、就職するつもりでした」と話してくれた浅賀捷(あさがしょう)くんは、現在、中央大学国際経営学部に通う大学1年生。高校3年生の4月に坪田塾に入塾し、1年間の受験勉強の末、中央大学国際経営学部に合格・進学しました。

中高の受験で失敗した経験があり、「落ちたら就職する」という強い覚悟を抱えながら大学受験に臨んでいたという捷くん。

当時は内に秘めていた想いも「実は……」と明かしつつ、担当の阪本将士先生と一緒に、坪田塾で過ごした一年間について語ってくれました。

 

勉強時間ゼロから危機感を覚え、質問がしやすい坪田塾へ

コロナ禍の高校生活は家と学校を往復するだけの毎日。家に帰って勉強するわけでもなく、当時の勉強時間はほぼゼロ。「学校内では勉強にそこまで熱心な友達もいなかったので、同じようにマイペースに過ごしていました。でも、2年生の終わりに他の高校に通っている友達と会ったとき、同じ学年の人たちもすでに受験勉強を始めていることを知ったんです。当時はまったく勉強していなかったので、これはヤバいな……と急に焦り出しました」

そんなとき、坪田塾を薦めてくれたのはお母さんでした。捷くんは、集団授業の塾に通っていた経験から、自分のタイミングで質問ができない環境は合わないなと感じていました。その点、坪田塾のスタイルであれば自分のペースで学習を進められそうだと説明会で実感し、入塾を決めたのです。

 

中学英語は32点 復習から受験勉強を開始

「入塾時に受けてもらった診断テストやヒアリング結果から、まず英語から始めることにしました。診断テストでは中3の英語が32点。高校英語は、中学で習う知識の拡張版のようなものなので、このまま高校英語を進めるより一度戻るべきだと考え、中学英語を復習することから始めました」と当時の学習計画を見ながら振り返る阪本先生。

インタビューに答える講師

点数こそ取れていないものの回答用紙に空白はなく、答えはしっかりと記入されている様子から、抜け落ちている知識を一つずつ埋め合わせていけば時間はかからないと判断。中学3年分の復習テキストを1週間で終える学習計画を作成し、捷くんも阪本先生の期待に応え、きっかり1週間で終わらせました。

「中学範囲ができていないという自覚はあって、一度戻りたいと思っていたんです。でも戻り方が分らなかった。だから、阪本先生から中学範囲の復習から始めることを提案されたときは、安心しました。同じタイミングで入塾した人が4日で終わらせたよという話を聞いたので、張り合う気持ちで終わらせました」。

こうして、捷くんの受験生活は勢いよく始まりました。

 

「反転学習」で、本当の理解度を確かめながら学ぶ日々

坪田塾では「反転学習」という学習方法を実践しています。事前に自宅で知識をインプットした上で、教室では、チェックテストや講師とのディスカッションを通して知識のアウトプットを行います。ここが、先生から生徒への「授業」というスタイルを採る一般的な塾と、大きく異なる点です。学んだ知識を自分の言葉でアウトプットすることで理解度が高まり、より効率的に学力を向上させることができます。

入塾するまで自宅学習の習慣が全くなかった捷くん。坪田塾のこの学習スタイルに慣れるまで多少時間がかかったようですが、予習方法についてのサポートも受けて、気づいたら自分でどんどん予習を進めることができるようになったそうです。

「学習してきた範囲のチェックテストで合格点をとると次の範囲へ進めるシステムなので、『合格点をとれるかどうか』はすごく大切。でもそれより大事なのは、受験本番で使える知識を身につけていくことだなと思ったので、自分的に理解が曖昧な問題は、あえて空欄のまま提出して採点してもらっていました。塾で丸をもらうことが目的になってしまっては意味がないので、ひそかに自分なりのルールを設けて受けていました」と何でもないことのように話します。

真の理解度を確かめるために、自分なりのルールを加えてチェックテストを活用する。それを聞いて、「だからか!」とつい大きな声が出たのは阪本先生。

「実は、『捷くんってけっこう空欄つくりますよね。受験本番では、分からなくてもとにかく答えるのも必要なことだから、わからなくても回答用紙を埋める練習するように伝えましょう』と講師陣で相談していたことがあったんです。そんな深い理由があったとは……」

と、今になって解けた謎に納得した様子でした。

阪本先生が“やっぱり”という言葉を使ったのは、そのような捷くんの言動に心当たりがあったからです。

というのも坪田塾では、生徒一人ひとりの性格に合った声掛けによる指導を実践するために、入塾時に「性格診断テスト」を実施しています。これによって性格タイプを9つに分類し、その生徒さんの性格タイプに合わせた最適な声掛けに活かしています。

捷くんが当てはまっていたのは「芸術家」タイプ。自分の個性を大切にし、人と違う特別な存在であることに喜びを感じるタイプです。

「芸術家タイプらしく、捷くん自身の世界観や考え方が強くある印象で、自分から進捗を報告したり悩みを打ち明けたりしてくることはなかったものの、毎回の予習の量やチェックテストの成績から、ものすごい努力をしていることは十分伝わってきていたので、学習の進度や方向性だけは逐一確認しつつ、基本は本人に任せて見守る方針を採っていました」(阪本先生)

 

過去の悔しさをバネに、ハードな勉強スケジュールで前進

中学英語の範囲を終えた後は、英単語・英文法・長文読解の三本柱で、学習をどんどん進めていきました。坪田塾の勉強法に慣れたゴールデンウィーク明けからは、現代文にも着手。受験で使用する2教科に絞って学力を伸ばしていきました。

とにかくひたすらに机に向かって勉強し続けているので、当時は、家族からも心配を通り越して「怖い」と言われてしまう程だったとか。

「夏休みは、朝9時に勉強をはじめて、まずは12時まで3時間。1時間休んだ後は、13時から21時半まで塾で8時間くらい勉強していました。家に帰ったら少し休憩して、0時から新聞配達のバイクの音が聞こえる3時頃まで勉強していました。学校が始まってからは、体育以外は全部塾の予習をしていました。夜中も、コーヒーを飲みながら起きてずっと勉強していたんですけれど、眠れなくなってしまったこともあって、さすがにまずいかなと思って受験前には睡眠時間を確保する生活に戻しました」(捷くん)

内に秘めた熱量で、黙々と勉強を進めていった様子が伺えます。なぜそこまで自分を追い込むことができたのかと尋ねると、過去の苦い経験に 突き動かされていたことを明かしてくれました。

「実は中学受験と高校受験がどちらも不合格だったんです。3度目の大学受験も落ちるようだったら、もう働いたほうがいいかなと」

本物の学力をつけて、大学こそは合格を掴み取りたい。

その一心で、受験勉強に取り組みました。

猛勉強の成果は如実に表れて、成績はずっと右肩上がり。11月頃からは、各校の英語と現代文の過去問に着手し、受験本番に備える日々を過ごしました。過去問に挑戦し始めた11月ごろから中央大学の問題とは相性がよく、高得点が取れていました。

「中央大学の問題は難しいとは思わなかった。早い時期から、受験本番でも中央はいけるのではないかと手応えを感じていました」

一方で、第一志望の慶応義塾大学の過去問には最後まで苦戦しました。悩みの種は、読解のスピードが上がらないこと。

「試験本番まであとわずかの時期でした。基礎は習得済みで速読練習も一通り終えています。受験が近くなってくると焦りで普段と違うことをしたくなりますが、とにかくこの時期は、ひたすら過去問を繰り返し、数をこなすこと。これに尽きるのです」

と、見守りながら伴走することに徹したと阪本先生は言います。

最終的に捷くんは、2教科各50回分の過去問を解きました。これだけの量をこなしたのは、10年以上講師をしている阪本先生にとっても久しぶりの生徒さんでした。

 

いよいよ受験本番 当日には思いがけない試練が…

そんな中でいよいよ迎えた受験シーズン。捷くんは先生とも相談の上、5校6学科を受験することに決めました。

電車が遅延したり問題の出題傾向が変わったり、なかなかすべてが想像していた通りにならないということは、大学受験ではよくあることですが、捷くんにもトラブルが起こります。本命として出願していた慶應SFCの試験日のことです。試験当日に満員電車に乗るのは避けたいと、前泊することにした捷くんですが、普段と違う不慣れな環境に、突然ホームシックになってしまいました。試験当日も電車の遅延で1日目・2日目ともに試験時間が変更となるというハプニングに見舞われ、調子が狂ってしまったといいます。

「気持ちが崩れてしまって、試験に集中しきれていませんでした。英語を解いている最中も、できてないなぁという感覚がずっと付きまとって。でも後で開示された点数を確認してみたらけっこう得点できていたんです。もし気持ちを切らさずに小論文を書いていたら、可能性はあったのかもしれないなと。気持ちがのる・のらないと、問題が解ける・解けないはあまり関係ないから、気持ちに引きずられてはいけないと身をもって学びました」と捷くん。

 

精一杯やって落ちたから、自分が変われた

残念ながら、慶應SFC合格は叶いませんでした。中央大学に合格していましたが、当初は大学には進学せず就職するつもりでいたそうです。考えが変わったのは友達の言葉がきっかけでした。

「中央行けばいいじゃん。SFCでもう一回学びたいと思ったら、大学は別に何歳でも入っていいんだから」

違う大学に進学したとしても、再チャレンジして後から進学することだってできる。何より、結果以前に、目標に向かって本気になって挑んだことで、一つ自分の殻を破れた、人として成長できたという達成感がありました。

それなら今は、せっかく手に入れた切符を生かして、大学でやりたいことをやろう。そのように決めたのは、入学手続き締め切りの直前のことでした。

当時の選択を今、どのように思うのかと尋ねると、こんな風に答えてくれました。

「良かったです。大学進学もそうですが、本命に届かずにそれでも入ったのが良かったと思っています。中高の受験では、十分やりきれないまま不合格・・・というイメージでした。今回の大学受験みたいに、懸命に取り組んで結果が出なかったのは初めてだったんです。だからこそ、プライドを捨てることができました。不合格はもちろん残念だったけれど、あんなにがむしゃらに努力できたことが自信になっているし、結果、今の自分には良かったかなって」

こんな風に話せるのは、できることを精一杯やり切ったと自分自身が確信していること、そして、結果を受け止めて、「今」を真剣に過ごしているからに違いありません。結果にも勝る価値ある経験を、捷くんは受験生活で手に入れたのです。

 

受験の中で得た教訓を携えて、前へ

「受験ではいろんな人からいろんなことを言われます。『もっとこうしたほうがいい』とか『これはダメだ』とか。その中で、自分が信じられる人の言葉を信じたほうがいい、と思います。失敗するにしても、友達であれ先生であれ、自分が信用する人の意見を聞いて、そのうえで失敗したほうがいいです。僕は心配性で、本当に志望校に手が届くくらいに成績が伸びるか自信がなくて、塾では受験2科目に絞りつつ、密かに日本史も自習していたんです。先生たちと決めた計画を信じて、もっと早く日本史から手を引けばよかったなぁと思ってます(笑)」

と、実体験に基づくメッセージで、インタビューを締めくくってくれました。

捷くんは現在、中央大学で農業サークルを立ち上げ、10名の仲間と栽培から販売までを行っているとのこと。飲食店でのアルバイトを経て、より学びのある環境に身を置きたいと坪田塾に戻ってきて、講師のアルバイトも務めています。

「ジャンル問わずいろんな人から学べる機会って、大学生くらいまでかなって。それだったら、生徒からも、他の講師の先生からも学べる坪田塾で働きたいって」

と笑顔を見せました。具体的に何をしたいかなど、将来は具体的には決まっていないけれど、「自分で自分をかっこいいと思える状態でありたい」といいます。この先どんな目標ができたとしても、全力で受験勉強に向き合った経験と同じように、達成に向けてより望ましい方法を考え、努力を重ねることでしょう。

 

講師コメント

阪本将士 北浦和校講師

受験生活の中で「今日はやる気が出ない」という日があるのは普通のことですが、捷くんからそういう話を聞いたのはたったの一度だけでした。受験までの期間を通して、常に感情と行動を区別して、本当にストイックに、内に熱いものを秘めながら一貫した行動がとれるかっこいい生徒さんでした。

小テストの空欄の話など、今回のインタビューで初めて知ることもいくつかありましたが、聞けば納得感しかありません。高い目的意識で、周りに流されずに一つ一つ着実に実行していく捷くんが、5年後・10年後にはどんな人物になるのか。今からとても楽しみです。