『部活も応援団も文化祭もやり切った私が、 学年ビリから1年で明治大学に合格した話。』

臼田ふきのさん

明治大学農学部生命科学科

木村拓史校長

坪田塾大森校

部活に邁進するだけでなく、体育祭での応援団長としての活動や文化祭にも全力投球しながら、猛勉強の末第一志望の大学への切符ももぎ取った臼田ふきのさん。

クラスのリーダーでみんなからの人気者。彼女がいるだけでその場がぱあっと明るくなるような、そしてみんなを巻き込んで空気を作っていくような、そんな魅力のある卒塾生です。

ふきのさんは現在、明治大学農学部で大好きな生物を学ぶ大学一年生。今はラクロスに夢中だそうで、インタビューがあったこの日も、大学のラクロス部Tシャツに身を包み、スティック持参で古巣の坪田塾にやってきてくれました。

本格的な受験勉強が始まるまで、彼女の成績は、270人中250番前後。
ビリから数える方がはやい、まさに「ビリギャル」のさやかさんと同じような立ち位置にいる生徒のひとりでした。
そんな彼女の大学合格までの軌跡を、ふきのさんと、担当講師だった木村先生と共に振り返ってみます。

 

成績は悪くなかった小中学時代

「小学校の時は100点取ったら100円もらえるっていうシステムが我が家にあって。年間3,000円くらいもらってました」と、ふきのさん。それだけでもかなり優秀な小学生だったことがわかります。
小学6年生のときに入った塾の先取り学習の成果もあって、中学生になっても成績は常に学年で上位に入っていたのだとか。

「中学に入ると95点以上で漫画1冊買ってもらえるシステムに変わりました。でも中学のテストだからさすがに難しくて、1回のテストで1冊ゲットできたらいいほう。それでもだいたい500点満点中430450点くらいは取れていたかな。ね、結構勉強できてたんですよ(笑)」

その結果「自分が今行ける一番上の高校を目指そうと思った」ふきのさんは、都内でも人気の進学校に狙いを定めることにしました。

 

「これからは勉強以外を頑張る」という目標

合格発表で自分の番号を見つけたふきのさんは「やったー!受かった!よし!勉強以外のことを頑張ろ!」と潔いまでに決意したと言います。

せっかく進学校に受かったのになぜ?しかも学校が始まる前に?

「中学の頃は勉強ができる真面目キャラで通ってたわたしだけど、この高校にいるみんなだって勉強できるじゃん、って気づいちゃったんです。『もしかしてわたしの個性、なくなっちゃわない?』って。入学してから知ったことだけど、入試で9割以上取って合格した人たちもたくさんいるような学校ですよ。そんなのわたしが勉強で勝てるわけない。それだったらもう勉強を頑張るのはやめようって。ここで勉強頑張っても意味ないなって、合格発表の時に決めました」

※ホワイトボードのロゴは、ふきのさんが書いてくれました。

当時15歳の少女の決意は、今聞くと突っ込みどころ満載ですが、彼女が言うこともわからなくもない。
中学での成績上位者が集まった進学校。その生徒たちが学力で競い合うわけですから、当然中学の時のような成績は取れません。

ふきのさんは「ここで私が頑張るのは勉強じゃない!」と、入学早々……ではなく、入学前にきれいさっぱり勉強と決別し、部活や文化祭の活動に力を全振りすることになったのです。

 

意外だった「もう一回勉強してみれば」の一言

そうして始まった高校生活。
コロナ禍の混乱の中ではありましたが、ふきのさんは「勉強以外を頑張る」という目標の通り、部活以外に自ら志願して応援団にも入り、学校行事に率先して参加していきます。
そしてあっという間に成績は下降線を辿り、早々にビリから数えた方が早い位置が定着してしまいました。

ただ、ふきのさんには進学の意思はありました。

「昔から肌が弱くて、鍼灸の先生に肌をきれいにしてもらったことがあったんです。それ以来鍼灸に興味を持って、それ系の大学か専門学校に行きたいと思っていました。でもお父さんに『専門の学校に行って今の時点で職業を絞る前に、可能性を広げる意味でも、もう一回ちゃんと勉強してみたらどうだ』って言われて、ちょっとびっくりした、っていうか……」

というのも、ふきのさんは、これまで一度も親から「勉強しなさい」と言われたことがなかったのです。

「勉強しなさいって言う親じゃないと思ってました。だって言われたこともなかったし。でもそれって、中学まではわたしが勉強して、いい成績を取ってきたからで。いよいよ勉強しなくなって成績がどん底になってきたら、勉強しろって言われるんだ、って。同時に『あれ、もしかしてわたし、めちゃめちゃヤバいんじゃね?』って気づいたんです」

 

坪田塾入塾。高みを目指して始めた“やり直し英語”

高2の2月。
両親の強い勧めもあって、ふきのさんは坪田塾に入塾。週5で通い始めます。面談の際には、数学と生物が割とできるほうだからその2つで受験したいと伝えていました。
しかし、蓋を開けてみたら、来る日も来る日も数学でも生物でもない英語の勉強ばかり。
その判断を担当の木村先生はこう振り返ります。

「もう一度勉強に取り組みたいと思い始めたふきのさんと、もっと高みを目指してもらいたいという親御さんのご意向を尊重し、ふきのさんには、まず英語の勉強をしようと伝えました。英語は、文理問わずさまざまな大学や学部で受験科目に採用されている、最も凡庸性の高い科目です。入塾テストの結果で、中学で習う文法が若干抜けていることがわかったので、“受験戦略”と“ふきのさんの可能性”の二軸で考えた結果、中1の英語から洗い直すのが賢明だと判断しました」

高校英語は中学英語の拡張版のようなもの。グラグラの基礎の上にいい家が建たないのと同じで、中学英語ができていないと高校英語で必ずつまずいてしまいます。
2の終わりになって中1の英語から復習する、というやり方は、一見遠回りのように思えるかもしれませんが、これまで何人もの生徒を見てきた経験や、ふきのさんの性格も踏まえて、木村先生には「問題なくこのやり方で大丈夫」という確信があったそうです。

「加えてふきのさんの素直でポジティブな性格から、得意科目は後からでも十分合格レベルまで持っていけると判断しました。まだ時間に余裕があり、志望校を絞りきれていないこの時期だからこそ、英語に注力すべきだろう、と考えたんです」

一方でふきのさんは「おもんなー」と思っていた、と言います。
それもそのはず、ふきのさんは英語が大の苦手で大嫌いだったのです。だから英語を使わなくていい入試を考えていたのに、塾では英語の勉強ばかり。そこで文句の一つでも言いそうなものですが、ふきのさんは「おもんなー」と思いながらも「親にお金出してもらってる以上、やるしかない」と、英語と向き合っていきます。

当時のふきのさんの平日のスケジュールは以下です。

まだ部活も応援団の活動もあったため100%勉強に集中できたわけではないけれど、それまでの生活は一変、0だった勉強時間は急激に増えていきました。

 

すぐに結果が出ないのなんて当然と思っていた

さて。
高2の2月から始めた英語の勉強。 はじめは、“ビリギャル式 坪田塾英文法ノート”を使って中学の英文法を洗い直し、単語を覚え、コツコツ頑張っていました。
それでもふきのさんは、少なくとも半年間は手応えを感じなかったと言います。大嫌いな英語と半年間も向き合って結果が出ないことに、落ち込んだり、焦ったりすることはなかったのかと尋ねると、意外な答えが返ってきました。

「いや、2年間も勉強してなかったんだもん、そりゃ結果出なくて当然でしょと思ってました。周りは3年間勉強して大学に行くわけじゃないですか。それをわたしは1年でどうにかしようとしてる。たった数ヶ月勉強しただけで結果がついてくるって思う方がおこがましいよなーって」

ポジティブで明るい性格のふきのさん。彼女は実はセルフコントロールも上手かったのではと思います。
勉強に向かう姿勢もそうですが、やりたいことは中途半端にやるのではなく、ちゃんと全力で楽しむという姿勢は、大人でも見習いたくなるほどです。

「部活も応援団も文化祭も全力でやりきった。家に帰ったらゲームばっかりしてたし、勉強なんて全然やらなかったけど、全部楽しもうと思ってやってたから全然後悔してない。高校生活、勉強以外は全部満たされてたんです。あとは勉強の枠が埋まればわたしの高校生活は完璧になる。だったらもうやるしかないし、これで勉強でも結果出したら、すごくない?って。まあ、カッコつけたかったんですね、単純に」

 

いよいよ志望校決定。受験には戦略も必要!

高3の5月に部活と応援団の活動が終わり、ようやく生物の勉強がスタート。そして7月から塾のコースを週5から、塾が開いている時は通い放題の無制限コースに切り替え、さらに受験勉強が加速していきます。苦手だった英語も、少しずつ「あ、これ知ってる!」と思う単語や文法が増えてきました。

志望校を明治大学農学部生命科学科に決めたのも、ちょうどその頃です。

「未来につながる勉強ができそうな学科だなと思いました。生物をもっと勉強したいなって思い始めていたのもあります。それに英語、生物、国語の3科目で受験ができるのも大きかったですね」

国語と聞いて若干の違和感がありました。確かふきのさんの好きな科目は生物と数学だったはず。そういえば塾で数学はまったく勉強してきていません。
その理由を木村先生はこう語ります。

「生命科学科の受験は、英語、生物、数学という選択もあったんです。ただ、明治大学の場合、ふきのさんが数学で合格ラインに必要な点数を確保するには、膨大な演習量が必要になります。受験までの残り時間と、入塾テストの結果を踏まえて判断すると、ここは間違いなく数学より国語だろう、と」

好きな科目の方が勉強もはかどるのでは?と素人は安直に考えてしまいそうになりますが、受験には戦略も必要です。受験科目を英語、生物、国語にしたことで、受験できる大学が少なくなるリスクはありましたが、明治大学農学部生命科学科に照準を絞ったことで、彼女の一発逆転の夢にはかなり近づきました。

そうして迎えた夏休み。“110時間勉強”の目標を掲げ勉強に取り組むはずが、ホームルーム委員だったため、9月の文化祭の準備に時間を取られる日が増えてきました。

「夏休みにも計画を立てたり、準備があったりと結構忙しくて。さすがに勉強したい、でも文化祭もやりたい。どうしようか悩んで塾で木村先生に相談したら『それはどっちもやるのがかっこいいんじゃない?』って背中を押してくれて。それで文化祭も勉強もやる!って腹を括りました」

坪田塾では9つの性格タイプに合わせて対話する、心理学を用いた指導を行なっています。ふきのさんは、コツコツとやるべきことをしっかりとこなしていくタイプ(坪田塾では「堅実家」と言います)でありながら、負けず嫌いでわくわくを原動力に進んでいく一面(坪田塾では、「楽天家」と言います)も持ち併せていました。

「堅実家の生徒さんは、立てた計画がコツコツと進んでいることを実感すると、どんどんやる気がみなぎってくるタイプ。逆に、計画がはっきりしない状況などを嫌います。楽天家の生徒さんは、未来がわくわくするような声掛けをするほうが燃える。逆に、ネガティブなことを言われたり、可能性の低さを諭されるようなことを嫌います。これまでのやりとりで、彼女の性格は大体理解していたので、相談された時は内心しめしめと思っていました。彼女の心に火をつける絶好のチャンスだと。彼女の性格に合わせ、理にかなった学習計画をしっかりと提示しつつ前向きなリアクションを示すことで、彼女のモチベーションに火をつけることを狙いました」

もちろん、彼女なら両方できる、という信頼もあったのでしょう。けれど、どっちかを我慢してどっちかだけをやる、という選択はふきのさんには似合わない。それはふきのさんの性格をちゃんと把握したうえでのアドバイスだったのです。

その結果、部活、体育祭に続き、文化祭も勉強と両立させたのです。

 

「こんなにやってまだできないの……」初めての絶望期到来

「今まで勉強してこなかったのだからできなくて当たり前」とポジティブに状況を捉えつつ、自分を鼓舞しながら勉強を続けてきたふきのさんにも、とうとう試練が訪れます。9月末頃、初めて解いた明治大学の英語の過去問で37/120点という数字を叩き出し、ついに心が折れかけてしまうのです。

「高2の2月から頑張って勉強して、たったこれだけしかできないの?って悔しくて。何でできないんだー!って。それに過去問より難易度の低い問題集でも全問不正解でまた落ち込んで。長文も読めないわけじゃない。それなのになぜか解けない。悔しくて泣きました。ここがわたしの絶望期です」

一方で木村先生は、秋の段階でそのくらいの点数なら普通だな、と思っていたそう。

「私自身、坪田塾で浪人時代を過ごした経験があり、しかもふきのさんと同じように英語が大の苦手だったんです。結果が出るまで時間がかかることも、その伸び方には特徴があることも知っていました。ふきのさんには英語の伸び方を表す成長曲線を見せて、英語の成果というものは、ゆるやかに右肩上がりに上昇するのではなく、急激にグンと伸びるときが来る。英語は結果が出るまでに時間がかかるんだよ、という話をしました」

木村先生の根拠のある励ましのおかげもあり、ふきのさんは少しずつ冷静さを取り戻していきます。

そして1ヶ月後。
国語の勉強が一通り終わったところで、明治大学の国語の過去問に挑戦。1回目で約6割解くことができ「よっしゃ!とりあえず絶望期終わった!」とホッとしたと言います。

「これで国語の勉強を一旦置いて、英語と生物に集中できるって思いました。いちばん最後に決めた受験科目にいちばん助けられた瞬間です」

近くで見ていた木村先生の目には、加速度的に成長していくふきのさんのようすが頼もしく映っていました。

「この頃から、過去問を自分で分析し、さらにそれをアウトプットできるようになっていたんです。坪田塾では、過去問を解いた後に、間違えた問題や『なぜ自分がその問題を間違えたのか?』といったことをまとめる“分析ノート”というものを作成してもらっています。これを実施することで、過去問が解きっぱなしにならないことはもちろん、解きなおしをするだけでなく『なぜ自分がその問題を間違えたのか?』という部分まで分析して講師にアウトプットするので、自分がわかっていないことや今後の対策として何をすべきかが、より明確化します。ふきのさんは特にこの“分析ノート”の作成を頑張ってくれていて、その成果からか『明治ってこういう問題がよく出るんだよね〜』というようなことをよく口にしていました」

過去問を解いた回数(10年分以上)は、校舎一だったのでは、と木村先生は言います。間違った問題をさらに深掘りして復習する “分析ノート”は、それぞれの教科で5冊以上になっていました。ボロボロになった参考書も、単語帳も、努力の結晶。

ノートには友達に励ましのメッセージを書いてもらって、辛い時に見返していたそう。それでも足りない時は、苛立ちや不安、自分を奮い立たせる言葉を書き殴ったこともありました。そのすべてが、血となり肉となっていったのです。

 

迎えた受験当日。立ちはだかる英語の壁

「前日はとにかく強気でした。絶対受かるって思ってたし。程よい緊張感で落ち着いて受けられました。とはいえ、そう簡単にいかないのが受験ってやつで……」

受験当日。1教科目の生物が6割、2教科目の国語は7割いけたと、ふきのさんはホッとしていました。過去問で見たことのある表が出たときは「過去問やり込んだわたしだけしか気づいてないかも!?」と心の中でガッツポーズをしながら解いたと言います。

そして迎えた英語。皮肉なことに、ここでまた英語の高い壁がふきのさんの前に立ちはだかりました。最も勉強に時間を費やした英語で、なんと3割ほどしか解けなかったのです。

「とにかく難しくて。めっちゃ勉強した英語でこれかよ、って。精一杯努力したし、過去問もめっちゃ解いた。なのに結果は3割。もう終わった、と思って塾に来て号泣しました」

ただ、この年の英語はかなり難しかったとの声も聞こえてきていました。自分ができていなかった問題は、他の生徒もできなかった可能性もある。それに英語で点数が伸びなくても、他の2教科が支えてくれる可能性だってある。国語が絶望期からの脱出を手伝ってくれたように。そう信じながら1週間。ついにふきのさんは、スマホで明治大学合格を知ることになるのです。

 

ついに合格!坪田塾での1年間を振り返って

「合格を知ってちょっとだけ泣きました。友達に報告して、塾に行って報告して。お世話になった人たちに結果で恩返しがしたいって、ずっとずっと思ってたから、合格してほんとに嬉しかったです。木村先生とはコピー機のところでハイタッチしました」

大学は楽しい?と尋ねると「楽しい!」と即答。興味のある学科に入れたことで、勉強にも前向きに取り組めているようで、将来選択することになるゼミも「面白い先生がたくさんいるから楽しみ」と教えてくれました。勉強だけでなく、新しい友人や部活のことを生き生きと報告してくれるふきのさんからは、充実したキャンパスライフが垣間見えました。

頑張った1年間を振り返って、ふきのさんは「ビリで勉強ができないからこそ、勉強をサボるなんて考えられなかった」と言います。

「高校の2年間、一切勉強してなかったから、サボったら学力はすぐ落ちるってことがちゃんと分かっていました。その遅れを取り戻すためにはやるしかない。かっこいい名前の大学に行きたいなら、わたしは努力しないとダメだったんです。ビリからジャンプアップしたらかっこいいかな?みんな驚くかな?よし頑張ろう!って、それがモチベーションでした。ビリだったから、ずっと頑張り続けられたんだと思う」

単語を覚えてきてねと言われたらちゃんと覚える。間違った問題の分析をしてねと言われたらちゃんとやる。そんなふうにふきのさんは、坪田塾で言われたことは絶対守る!と心に決めて、坪田塾のペースで勉強を続けてきました。

「だってわたし、坪田塾に拾ってもらったって思ってたから。ビリを救ってくれる坪田塾は、わたしのためにあるんだ、って思いながら、毎日通ってたんです。自分に合った塾選びって難しいけど、わたしは大成功。坪田塾での1年間があったから、今のわたしがいます」

 

講師コメント

木村拓史 坪田塾大森校校長

指導中もよく質問してくれる子で、自発的にペンを持ってきてよくメモを取っているのが印象的でした。堅実家、楽天家タイプが強いふきのさんの傾向を踏まえ、常にポジティブなフィードバックを心掛けました。悩むこともありましたが、時には私自身の浪人エピソードも交えつつ背中を押すと、その度に「もうちょっと頑張ります!」と力強い返事をくれて、最終的にはその頑張りが目に見える形で現れるようになりました。過去問の指導では、「この年度はこうで」とか、「この大学はこういう傾向があります」と彼女自身の口から聞けるようになり成長を感じていました。最後まで「英語が英語が…」と言っていましたが、見事合格を掴んでくれて合格発表日にハイタッチした時は最高の瞬間でしたね!

 

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