石川結彩(イシカワユイ)さん
東京医科大学 医学部
内田晴臣先生
坪田塾 横浜校 講師
「小さい頃から漠然と『医師になりたい』という思いがありました。怪我や病気が多く、病院に行く機会が多かったことが影響しているのかもしれません」
そう語るのは、この春より東京医科大学医学部に通う石川結彩(イシカワユイ)さん。
大学では、絶対に医学部に行きたい。
結彩さんは小学生の頃から明確な目標を持っていました。
中学校でも面談シートに同じ夢を書き続け、高校生になったら迷うことなく理系を選択。夢を叶えるために、高校2年生の春から坪田塾に通いはじめます。
そして、横浜校の講師との出会いをきっかけに、一気にスイッチが入ってのめりこむ様に勉強に励むようになったという結彩さんは、それまで抱えていた不安や、一見無謀とも思える受験直前のとある大勝負を乗り越え、東京医科大学の合格を勝ち取りました。
小さい頃からの憧れを胸に受験を乗り越えた結彩さんの、医学部合格までの道のりを、横浜校の内田校長とともに振り返っていきます。
部活に打ち込んだ高校生活
「引退するまでは部活中心の生活で、勉強といえば学校のテスト対策一本、その中でも理系科目と英語にしか手をつけていませんでした」
中高一貫校で5年間チアダンスに打ち込んでいた結彩さんは、部活動に熱中する生活を送っていました。
高校1年生から英語塾と大手予備校に通っていたものの、自分から勉強することはほとんどなかったという結彩さん。
当時の勉強への向き合い方について、こう話しました。
「学校では理系の上位クラスにいましたが、全国規模で見れば平均レベル。特別良いわけでも悪いわけでもない成績でした。定期テストは徹夜で乗り切るのが常で、本格的な受験勉強は手つかずでした」
そんな結彩さんは、高校2年生の春に坪田塾の門を叩きます。
それまで通っていた予備校のような「一対多」形式ではなく、もっと寄り添って指導してくれる塾を探していました。
「予備校には担任の先生のような存在がいなくて。相談相手となる人や面接の練習をしてくれる人もいませんでした。医学部受験に向けてまず何をすればいいのか、どんな勉強をすればいいのか、スケジュールをどう組み立てたらいいのか、何から何まで全部が手探りで。そこで、身近に見てくれる先生を探していたんです」
“子”別指導を掲げる坪田塾では、生徒一人ひとりに必ず、正社員プロ講師が担当につきます。学力レベルや志望校に合わせた学習カリキュラムを用意し、一緒に立てた目標に向かって毎日の学習に伴走することが担当講師の役割です。特に受験生ともなると、志望校の決定から受験期のメンタルケアまでサポートを行っており、そういった坪田塾の特徴が結彩さんのニーズとマッチしていたのかもしれません。
坪田塾は、お母さんが見つけてくれたといいます。
とりあえず行ってみよう。
そんな軽い気持ちで、結彩さんは坪田塾に足をはこびました。
「実際に行ってみると、私がイメージしていた塾の形と全然違いました。椅子がズラーっと並んでいた光景にはすごくインパクトがありました」
初めて坪田塾に足を踏み入れた時の印象を、結彩さんはこう語ります。
迎えた、初回の授業。
そこで結彩さんは、運命を大きく動かす、ある人物と出会います。
「教材オタク」との出会い
「坪田塾に入る決め手となったのが森先生との出会いです。とにかく、森先生の持っている知識の量がすごかったんです」
横浜校で理系の指導を担当している森先生は、参考書に関する圧倒的な知識を持っていました。
教科単位はもちろんのこと、一つひとつの単元レベルで、最速で理解するための勉強法を熟知していたのです。そんな森先生の話に結彩さんは強く引きつけられました。
この先生に教われば、本当に医学部に合格できるかも知れない。
そんな予感が胸をよぎります。
森先生は、自身が受験生の時から使っていた参考書も見せてくれました。
結彩さんはさらに衝撃を受けます。
本気でやる人って、こんな風になるんだ・・・。
そのテキストは、これまでに見たことないぐらい、ボロボロでした。
教材の知識もさることながら、目の前で“本気の本気”を目の当たりにした結彩さん。
大きな刺激を受けたことは、言うまでもありません。
「私はまだ、森先生の足元にも及ばないです」
そう言って見せてくれた結彩さんのテキストも、かなり使い込まれていました。
結彩さんが通塾し始めた当時の様子を、横浜校校長の内田先生はこう語ります。
「担当に決まった森先生は、教室の棚をまるまる一つ独占しちゃうような教材オタクなんですが、結彩さんの志望する医学部受験に合わせて、使用していく教材を選んだり、『こんな話をしてあげよう』と考えたり。入塾する前からそのオタクっぷりを余すことなく発揮していましたね」
積み重ねた努力が、自信に変わっていく
こうして結彩さんは週2回ペースの坪田塾通いを開始しました。
坪田塾では、アウトプット重視の「反転授業」という学習スタイルを実践しています。
一般的な学校や塾での授業は、黒板の前で先生が解説を行い、生徒はそれを聞いて必要な知識をインプットするというスタイルですが、「反転授業」では、知識をアウトプットできるようになるまで理解を深めることを大切にしており、その学習効果の高さが科学的にも証明されています。
具体的には、
- 1. 決められた範囲を自宅で予習してくる
- 2.予習した範囲から出題される「チェックテスト」を受ける
- 3.チェックテストの採点後、指導開始
というのが坪田塾でのおおまかな学習の流れです。
実際にチェックテストを解きつつ、問題の解き方や回答の根拠、派生知識などを講師相手に自分の言葉で説明していくことで、理解を深めています。
結彩さんも指導の際には、チェックテストを解いて採点してもらうだけにとどまらず、1つ1つの問題にじっくりと向き合い、より深いところまで突き詰めて理解していきました。時には、チェックテストに留まらず、参考書の発展的問題について熟考することも。
「1つの問題を、解法を変えて何通りもの解き方で解いてみたり、物理を数学的な微分で解いてみたり。学校で教わることもなければ、どの参考書にも書いてないようなことを、森先生はたくさん教えてくれました」
解説を聞いたら席に戻って演習をし、その解き方を定着させる。それを何度も繰り返します。わからない問題があれば、森先生だけでなく、現役大学生の講師にも質問することができました。
「どの問題をどの先生に教わるか、というのも全て振り分けてくれて、横浜校の先生方全員が連携しながら、それぞれの得意分野を指導してくださりました。おかげで、それぞれの先生のすごいところを全部吸収することができたと思います」
坪田塾に通い始めたことで、勉強への取り組み方にも変化が現れました。
「私はけっこうな面倒くさがり屋で、わからない問題があると、すぐに人に答えを聞いていました。でも、『分からなくても考える時間を取ろう』って先生に言われたんです。そこから、問題への向き合い方が大きく変わりました」
分からなくても、しっかり考えてみる。
考えても分からなかった時に、初めて質問に行く。
先生たちが示してくれた道に沿って歩き出したことで、結彩さんの中に強くあった勉強に対する不安や焦りがいつしか消えてなくなっていました。
今の自分の立ち位置と、目標までの距離を把握できるようになり、同時に、その差を埋めるための課題も明確になったのです。
結彩さんが先生たちとのやりとりから自信を得た背景には、実は彼女の性格タイプも関係しています。坪田塾では、9つの性格タイプに分類する心理テストを入塾時に受けてもらっていますが、結彩さんが当てはまった「献身家」タイプは、人に尽くすことや誰かに「ありがとう」と言ってもらえることに強くやりがいを感じる特徴があります。先生たちが示す学習指針を一つずつクリアし、先生と一緒に進歩の達成感を味わっていくような学習の進め方が、結彩さんの受験勉強の進みを後押ししていきました。
「以前は、良い成績を取っても自信を持てずにいました。『たまたまできただけ』としか思えなくて。でも、坪田塾に通い始めてからは、『やるべきことをちゃんとやった結果』と自信が持てるようになったんです。もちろん、運良く点が取れてしまうこともあるけれど自分がした努力は確実に残るものですよね。一歩一歩積み重ねができたことが、心配性な私の性格に合っていたのだと思います」
部活も並行していた結彩さんにとって、勉強と部活の両立は決して簡単なことではありませんでしたが、徐々に成績はアップしていきます。
「ずっとE判定続きだった医学部も、模試でD判定が出るようになりました。合格にはまだまだ遠い成績ですがE判定じゃないことが嬉しかったです。着実に前進していることを実感できました」
どん底に落ちたメンタル
順調に成績を上げていた結彩さんですが、高校3年生の9月、とある壁にぶつかります。
結彩さんが受験勉強にまい進する中、指定校推薦で大学が決まる友人が現れはじめたのです。
「中学生の時から『一緒に医学部に行こうね』と話していた友人の指定校推薦が決ったんです。他の友人たちもどんどん受験を終わらせていきました。あの時は、すごく心細かったです」
自分だけ、浪人してしまうのではないか?
一生大学が決まらないのではないか?
孤独感の中、さまざまな思いが駆け巡り、勉強になかなか身が入りません。
そんな時も、横浜校の先生たちは常に寄り添ってくれました。
「森先生は以前『相談に乗るのが苦手』と言っていたのですが、私はそれでも森先生に話を聞いてもらいたいと思いました。私の一人語りになってしまいましたが、森先生は黙ってずっと聞いていてくれました」
一通り話を聞いてもらうと、心がすっきりとして、また勉強に向かうことができました。
「受験生とモチベーションは切っても切り離せない重要なテーマで、私たちも常に細心の注意を払っています。ただ、一律の方法があるかというとそんなことはなく、対処法は生徒さんによって千差万別です。我々から積極的にアプローチして働きかけていくこともあれば、敢えて相談が来るまで待つこともあります。結彩さんはといえば、『自分で問題を分析して、課題を見つけて、次にやるべきことを決めることができる』タイプの生徒さん。なので、結彩さんに対して我々がやるべきこと『ただ聞いてあげる』ということでした」(内田校長)
その後結彩さんは自分でメンタルを立て直します。
『ここで楽なほうに流れない自分、かっこよくない?』
ふと、そんな思いが自分の中から湧き上がりました。
自分の道を信じて進むことを決意した結彩さん。再び勉強に集中し始めます。
高3の秋。大勝負を決意。
推薦入試の存在を知ったのは、高校3年生の夏のことでした。
「推薦で医学部に入学した知人がいたんです。その時はじめて『推薦入試』という選択肢があることに気づきました。とは言え、しばらくは予定通り一般入試を受けるつもりでいましたが、秋頃に『チャンスの一つとして受けてみるのもいいかな』と思うようになって。本格的に推薦を目指しはじめたのはそこからです」
推薦入試のある医学部の中で最もレベルが高い、東京医科大学を志望校に決めたのもこの時でした。一番の決め手となったのは入試科目でした。
公募推薦の試験科目は「面接、小論文、理科3科目(物理・化学・生物)、総合的な理系の学力を問う問題」。ここに志望理由書が加わります。
理科に関してはもともと選択していた物理と化学に加え、新たに生物が必要となります。おまけに小論文は日本語と英語、両方で書かなくてはなりません。
残された時間はあとわずか。一見すると、無謀な選択のように見える東京医科大学の推薦入試。しかし結彩さんには勝算がありました。
「理科が3科目ある時点で受験したがる人は少ないのではないか、と踏んだんです。それを逆手にとって『生物さえ頑張ればいけるのではないか』と考えました」
入試直前に新しい科目を追加するなんて、どんな受験生にとっても考えただけでも恐ろしいことなはず。しかし、結彩さんはまるで合格する未来が見えていたかのように、強い意志でその一歩を踏み出しました。
「受験って、他の人と差をつけることが大切ですよね。それであれば、他の人が行かない道を行く、というのも1つの方法なのではないかと思ったんです。あと、英語の小論文があるのも大きかったです。これに関しては誰にも負けない自信があったので」
「間違いなく止めてました、結彩さんでなかったら」
内田先生は当時の心境を振り返ります。
「理科3科目って、とても特殊な形式なんです。リスク含みな選択であることは間違いないので森先生とも何度も話し合いました。ただ、最終的には『結彩さんであれば可能性が見込める』という結論に至りました。というのも、やっぱり決め手は結彩さんの英語でした。小論文は日本語と英語両方の出題がありますが、英語で小論文を書くというのは、普通の受験生にとってはそれだけでハードルが高いもの。ところが結彩さんに関しては、むしろ英語のほうが上手に書けていました。これは結彩さんの強みが存分に活きるチャンスだと考え、背中を押す決断に至りました。」
入試直前には、面接対策にも熱をいれました。
「面接練習の時に、本番で絶対に聞かれないような、想定外の質問もしてくれたんです。最初はその意図が分からなかったのですが、『答えられない』という経験を練習の中でしていたことで、余裕を持って本番に臨むことができました。本番では用意していた質問がほとんど出なかったのですが、それでもかなりの手応えを感じることができたんです」
「みんなを倒す!」強い気持ちで勝ちに行けた入試本番
そしていよいよ、入試当日。
この日は結彩さんの18歳の誕生日でした。
「内田先生は不安な気持ちでいっぱいだった私を、常に励ましてくれました。そのおかげで試験当日は『私がみんなを倒すんだ!』と強い気持ちで臨むことができました。緊張もありましたが、『勝つんだ!』という気持ちのほうが強かったです」
それまでの頑張りを見てきた内田先生は、結彩さんの自信を引き出しました。
「その時の事は今でも覚えています。『受験当日って周りの人が本当に頭が良さそうに見える。でも、他の受験生もそんなふうに結彩さんのことを見ているんだよ』というお話をしました。『そうはいっても本番はビビっちゃうものだよなぁ』と内心は心配していましたけどね。そこまで自信を持って臨めてたのなら良かったです(笑)」
試験から5日後、学校の授業中に届いていたお母さんからのLINEで、合格を知りました。
「本当は自分で結果を確認したかったのですが、母からのメッセージで合格が分かってしまいました。合格発表のドキドキのようなものは一切なくて、『ああ、受験終わったんだ』って。あっけないような、なんとも言えない気持ちになりました」
その日の夜、結彩さんから塾宛てに一通のLINEが届きました。
「合否が出たのですがLINEで連絡したほうがいいですか?」
塾からは回答は、
「ぜひ、直接教えてください!」
というもの。
後日、塾に出向いて正式に合格報告をしました。
「LINEの時点でなんとなく受かったことが分かってしまったみたいでしたが、先生方も喜んでくれて、安心しました」
内田先生は、その時の様子を振り返ります。
「LINEの文面から『これは合格しているパターンだ!』と感じたのですが、実際に会って報告を受けるまではドキドキが止まらず。合格しましたという話を本人の口から直接聞いたときは、とても安心しました。」
坪田塾に通い、「自分で決めること」を学んだ
坪田塾に通ったことで、自分で決断する力を育てることができたと結彩さんは言います。
「坪田塾は、他の塾と比べて、考えること・決めることを生徒自身に委ねる場面が多くあるように思います。途中で悩むこともたくさんありましたが、いつも最終的に至るのは『結局は自分だ』という結論なんです。こんなにも色んなことを自分自身で決めることができるんだ、ということを知れましたし、そこが成長した点だと思います」
人一倍頑張っている結彩さんを、横浜校の先生たちはずっと見守り続けていました。
「一度、すごく気持ちが落ち込んで、塾で涙を流してしまったことがあったんです。隠せていたつもりでしたが、普段あまり関わりのない先生が私の様子を見ていてくれたみたいで。私が教室を出る時に、そこにいた先生全員が一人一人、私に『頑張れ』って声をかけてくれたんです。そこでもう、涙腺崩壊しました。『こんなに応援してくれる人がいるんだ』って。坪田塾の温かさをすごく感じました」
森先生、内田先生をはじめ、たくさんの人々に温かく見守られながら駆け抜けた二年間。
努力の末に手に入れた自信を胸に、結彩さんはこれからも夢に向かって進み続けます。
講師コメント
内田晴臣 横浜校校長
私は英語を結彩さんと一緒に勉強しましたが、勉強に対する姿勢がとても印象的でした。指導席からは生徒さん一人ひとりの様子がよく見えるのですが、結彩さんはいつだって、「先生に質問しにいくぞ」と全力でぶつかって行こうとする姿勢が全開でした。そういった意識で勉強できる子には、ちゃんと結果が付いてくるのだなと。とことん学び尽くしたからこそ、強い気持ちを持って合格を勝ち取りに行けたのだと思います。今後のますますの活躍を期待しています。