百聞は一見に如かず

8年半前、あなたはどこで何をしていましたか?

日本で何が起きていたか、覚えていますか?

こんにちは、みなさん。上本町校講師の木村です。

そうです、2011311日。東日本大震災から、早くも8年半が経過しました。

今高校3年生であれば、10歳ごろでしょうか?私はちょうどその年の3月に高校を卒業し、大学受験の結果待ちというところでした。

なぜこのタイミングで、このような話題を振ったかといいますと、

私は大学生のころから、東北地方に足を運び、

1年半くらいのスパンで復興状況などを自分の目で見るようにしています。

今回は、本年8月に行ったときの状況を少し紹介させてください。

まずは、以下の写真をご覧ください。

(スマホで撮った写真ですので、画質が悪いことはご容赦ください。)

福島第一原子力発電所周辺_1 
福島第一原子力発電所周辺_2

これは福島第一原子力発電所周辺の国道6号線の状況です。

JR常磐線が不通となっていますが、その代行バスの車内から撮影したものです。

いかがでしょうか? どういった感想をお持ちでしょうか?

上は、被災当時の建物がそのままの状態となっています。草が生い茂っていますね。

下は、汚染土が入っていると思われる黒いごみ袋の山です。

ここ以外にも、相当な量の黒いごみ袋が置かれています。

あえて私がどう感じたかは記載しません。皆さんがそれぞれどう思うかが大事です。

それでは、次に参ります。

門脇地区の風景
門脇小学校

こちらは、20149月、20163月、20179月、

そして今回の4回にわたって訪問を続けている宮城県石巻市で、

東日本大震災の津波の影響を大きく受けた門脇地区です。

上は、門脇地区の風景です。震災以前は、ここは住宅地でした。

被災後、人はもう住めないと判断され、撮影地よりも沿岸部は国立公園に整備されるとのことです。

資料館の方が涙ながらに、当時からの状況を語ってくださいました。

下は甚大な被害を受けた、門脇小学校です。当時のままの状態で残されています。

小学校を襲った津波は高さ6m。

在校していた児童のうち、既に下校していた7名の児童が亡くなってしまったそうです。

一方、同じ石巻市にある大川小学校は避難誘導が不適切なものだったといわれ多数の犠牲者が出ました。

なお、門脇小学校の建物は「震災遺構」として一部保存されることになっています。

これら4枚の写真を見て、どう感じたでしょうか。

 

・復興は進んでいないのでは?

・そういった被害が残っているところだけを切り抜いているのではないのか?

・はじめて見て衝撃を受けた。

 

など、ほかにも感想はたくさんあると思います。

こうして、写真や実際の現場を見て感じることはたくさんあります。

もし興味を持たれた方がおられたら、一度皆さん自身で足を運んでみてください。

今回このような形で東日本大震災の被災地の紹介をしましたが、何よりお伝えしたいのは、

「自分で実際に調べたことにこそ、価値がある」ということです。

これは、坪田塾での学習と同じです。

先生に「教えてもらう」のではなく、自分で「調べてみる」。

そして、「分からないところは質問する」。

これは、何も受験勉強でのみ使えることではありません。

大学生になっても、大人になっても、自ら探求する心(自主性)は変わりません。

だからこそ、坪田塾での指導では、「ディスカッション」形式となっていますね。

(もう少し専門的な言葉を使うと、「反転学習」と言います。

 これは、生徒さんが自習・予習した結果を、先生がチェックし、

生徒さん個々に合わせた進度で、課題を与えていく学習法をいいます。)

塾生の皆さんに日頃、「調べておいで」と言い続けているので、

たまには私が調べたことをこうしてお伝えするのもいいですね。

ぜひ、いろんなことを自分で調べ、疑問点は講師の先生にぶつけてみてください。

そして、大学へ行った後でも、

自分で調査・研究したことをぶつけに来てくれたら、最高ですね!

最後に余談ですが、高校3年生当時の私は、国公立前期試験に不合格となり、

312日の後期試験に向けての勉強中に東日本大震災の報に触れ、

勉強どころではなくなってしまいました。

結局、後期試験も不合格で浪人することになったのですが…。

前期試験前にモチベーションを失い、勉強不足だったのです。

(この話は別の機会に譲ります。)

なので、皆さんも後悔のないように、全力を尽くしてくださいね!

我々、坪田塾の先生は最後まで皆さんの合格のサポートをします!