こんにちは!茨木校の益田です。
今月は敢えてこの主題でやってみたいと思います。
まず、どう「思い通りにいかなかったか」は各自の解釈に任せたいと思います。
どこの学校にも合格できなかった、第1志望に合格できなかった、
思い通りの点数が取れなかった、どれでも自由です。
今、辛いなと思っているのであれば、是非とも読んで見て下さい。
上手く行ったと思った方、将来、何かあった時のためにこの文章を保存して、
いつか読んで見て下さい。必ず、役に立つと信じています。
ひとまずは、お疲れさまでした。本当に、本当にお疲れさまでした!よく頑張りましたね!
僕は皆さんの頑張りを心から凄いと思っています。
ここまで、自分なりに物凄く頑張って臨んだ試験だったと思います。
人生で一番努力して臨んだ方もおられたんじゃないかと思います。
ここに来るまで、模試で一喜一憂して、過去問の点数で安心したり、不安になったり、
何度も壁にぶつかりながらも・・・頑張ってきましたよね。
特に今年はコロナもあって、学校や塾が休校になったりしましたよね。
受験がいつ行われるの?という議論もありましたよね。
そのような中ででも、頑張って受験勉強を進めて行った事は本当にスゴイ事だと思います。
指導をしていても皆さんの頑張りは良く伝わってきました。
今だから話しますが、講師として、今年の1年間はどのように心を整理していけば良いか、
自信を持って話をすることが出来ませんでした。
こうした感染症の中でどのように受け止めれば良いか、自問自答しながら過ごしていました。
大人ですら、自信を持った答えを出せないでいた、今年はそういう年だったんです。
その中ででも出来た事は大きかったんです。
結果が出なかった理由は色々あるかと思います。理由なく上手く行かないという事はありません。
ですので、必ずその理由については考えて見て下さい。
それは。1日や2日で見つからなくたっていい。
次の進学先でもいいし、就職してからでもいい。でも、絶対に考えて見て下さい。
確かに、向き合う事は、簡単なことではありません。
だって、頑張った自分に対してシビアな評価を下さないといけない、ということなのですから。
でも、それがしっかり出来た際には、大きな成長が待っていますし、
絶対に今後の人生にプラスに、そして大きな輝きを与えてくれるものになると思います。
筆者の話をしていきましょう。
僕は、高校生時代から、いわゆる「ガリ勉」と言われるぐらいにはやっていました。
高校1年生の時から、1日3時間は自分で宿題以外の勉強をしていましたし、
受験生の時は1日に10時間は勉強していたと思います。
最終的に、今でいう「共通テスト」の過去問は、受験科目であれば、
国語なら25年分+追試験10年分は解きましたし、
他の科目に関しましても教育課程と合致している過去問と予想問題集を2~3冊は解いたかと思います。
それでも、思い通りの点数には届きませんでした。
センター試験本番、何故か数学ⅡBの問題で、どうしても解けない問題が出て来きました。
一番最初の手順から思い付かず、いつもなら解けていた問題が全て空欄になってしまいました。
難化しただろう!と思ったのですが、実際にそんな事は無く平均点は昨年並み。
「自分だけ解けない問題」を出題されたのか?と恨みました。
それから12年後、過去問題集を買ってその問題を解いてみました。
何で解けなかったんだろう?と思うくらい、簡単で、
何ならその問題を満点取ることが出来てしまったんです。
筆者は国語の先生ですので、数学に関しましてはこの12年間ほとんど触れておりません。
そんな人が解けるような簡単さでした。
「こんな問題で苦戦していたのか」と思うと苦笑いをしてしまいました。
そして、2次試験。これがさらにひどかった。
受験票を見事に忘れ、お腹を下しました。
試験どころじゃなく、とにかく解答用紙を埋めるだけの事しか出来ませんでした。
最後の国語の試験に、メガネが折れてしまうというハプニングもありました。
それでも、
「ここまで頑張ったんだから落ちるはずがない」と何故か受かる自信はあって帰宅したのですが、
結果は不合格でした。
ちなみにその時の受験番号は鮮明に覚えています。
50416・・・「こまるよイチロウ」(困るよ一浪)という語呂になっちゃうじゃありませんか!
後期試験も受けましたが、その日にインフルエンザにかかりました。
受けている時はそのことに気づかず「緊張で手が震えたのかな?」と思っていたのですが、
帰宅したときには39°を越える体温でした。そこから4日は寝込んだ記憶があります。
もちろん、結果は不合格・・・。
どこまで浪人のフラグ回収をしてしもたんや・・・・と思うような試験結果でした。
嘘みたいな本当の事が起きてしまったのです。
そして、浪人し、1年後もう一度受けるセンター試験。
結果は、昨年より下がりました。国語に至っては、44点も低い結果になりました。
あれだけ、あれだけ頑張ったのに、
取れなかった事に対して本当に辛かったのは今でも記憶に残っています。
そして、研究したかった分野のある大学の進学を諦める事になり、
その時には全く思いもしなかった大学に入学する事になりました。
ここまでの話、今となっては笑い話として僕は考えています。
何故かというと、確かに受験生時代、僕は大きな失敗をしていました。
入試に合格をするためには「学力」だけじゃなくて、
「当日どうやって落ち着いて試験を受けるか?」、
「どうすれば普段通りの力が出せるか?」というような
「メンタル」も必要だということに気が付かなかった事、そして、その時には完璧だと思っていても、
後になって振り返ると学力的な面でも考えの甘さがあった事に気が付けなかった事、
などがそれにあたります。
でも、そんな不完全な受験勉強でも得られたものは多くありました。
高校時代に試行錯誤しながら研究しまくった事、戦略を立てて対策をしていったこと、
この経験はずっと自分の中に残っていました。
あるときにふと、「やっぱ塾の先生やりたいな」と思って、この仕事を始めたのですが、
知識に関してはほとんど忘れておらず、就職の準備はすぐに整いました。
そして、失敗したからこそ伝えられる話もあったし、
国語に至っては、自分は点数を取れなかったはずなのに、
指導をするのに一番大きく自信を持てる科目となり、
今ではその国語の指導をメインとして生きていけるようになりました。
国語が苦手な生徒さんが、いつの間にか「国語出来るようになりました」と話してくれるような、
そんな有難い報告を聞けるような、そんな日常を送ることが出来るようになりました。
メンタル面についても、時折ちょっと支えになるようなそんな話をしていけるのも、
この仕事をやっている醍醐味だと思いますし、
その意味では良い経験として活かせているのかなと思っています。
そう考えると確かに、自分の受験の結果は出せなかったかもしれない。
自分の思い通りの進路は歩めなかったかもしれない。
でも、自分が頑張ってきたことは「大学入試でだけ」報われなかったんだ、
たったそれだけの事だったんだ、あの時報われなかったと思ったけど、
その経験が今の自分を大きく作っているんだ、と10年たってようやく気付きました。
だから、入試の失敗を「笑い話」として語れるようになったのかなと思っています。
いつか、君たちにもそんな日は必ず来ますし、少しでも早くその日が来ることを願っております。
最後にもう一度、思い通りにいかなかった君たちへ
ここまでやってきたこと、どんな結果になったとしても、無駄になった事は一つもないよ。
でも、失敗した原因は絶対あるから、それを見つけてみよう。
この先の人生で輝ける、重要な手掛かりになるはずだから。
それが一番、今までにやってきたことを「無駄にしない」ことだと思うから。
そして、ちょっとだけ休んだら次の一歩を踏み出そう。
進学をするもよし、来年再チャレンジするもよし。まだまだ、人生はこれからだから。
そして、元気な顔を又僕らに見せて下さい。
出来れば「次の道を見つけた」と笑顔で見せてくれると嬉しいです。
それでは、また会う日まで!!