1年の再チャレンジで慶應義塾大学SFCに合格!

合格の喜びの声

■名古屋大学教育学部附属高等学校 ⇒ 慶應義塾大学総合政策学部 合格

 2年間ありがとうございました。

 私は高校時代、受験に内申点がいらない事を理由に、入塾する前の2年間はほぼ勉強したことがなく、定期テストでは学年最下位を何度もとっていました。他の塾に通った事もありましたが、「なんか楽しくないし、授業分かんない」といった理由でサボってしまっていました。しかし、坪田塾は、一対一の指導で先生が面白い話をしてくれるし、自分に合ったレベルのテキストを見極めてくれるので、苦なく、通うことができました。それは自分の中でかなり大きい事でした。また、私は「楽天家タイプ」だったので、先生からのほめ言葉を本気で受け止め、勉強のモチベーションを維持することができました!

 後輩へのメッセージとして言えることは、とにかく、ギリギリまで諦めない事です。私は、慶應の試験日の昼休み中に、行きたかった他大学の合格発表を見て、受かっていたので、解答用紙を埋めるのを放棄しかけましたが、なんでもいいから書こうと思い何とか最後まで書いて、受かりました。

(本人直筆のアンケートより)

合格実績・合格体験記 2020年度 慶応義塾大学(総合政策学部)

英語担当 福井先生(車道校)の講評

どんな出会いでしたか

 確か入塾は高校2年生の終わり頃でした。坪田塾では最初にオリエンテーションの時間を設けており、坪田塾の校舎の使い方や通塾の決まり、予習の仕方などを塾生1人ひとりに詳しくお伝えするのですが、私(福井)が初めて出会ったのはそのオリエンテーションのときでした。

 定期テストの結果は「学年ビリから3番目くらい」と聞いていました。高校の進級も危ぶまれる状況だったので、学校の定期テストのサポートもやりながら、受験対策も進めていくかたちでのスタートでした。定着の甘い単元が多かったので、高校内容の復習から始めました。

ふだんの通塾の様子は?

 前向きに学習に取り組めるように、基礎内容から確実に理解して、自信を取り戻していくのを意識しました。坪田塾では「5分が指導時間の単位」となっているのですが、その5分間の中で1度はほめるようにしていましたし、ご家庭に学習進捗を報告する際にも、「ほめてあげてください」と念押しするようにしました。実際にできることが積み重なっていくと、いつもすごくうれしそうで、小さくガッツポーズを見せてくれることもありました。塾が終わると、満足そうな顔で家に帰ってくれるので、私もうれしい気持ちでした。

 この生徒さんは、とても人と人との関係性を大切にするところがあります。たとえば、塾の先生に対しても目の前の勉強にしっかり取り組んで、期待に応えようとする志向が強くみられました。だからこそ、がんばって課題に向き合って自分のものにできたら、そのつど口に出して承認するというのを繰り返しながら、実力をつけていきました。

印象に残っていること

 現役時代のことで一番印象に残っているのは、高校3年のゴールデンウィークの頃に取り組んだ「比較級」の単元です。ここは理屈で攻めるのではなく、構文のパターンを暗記して乗り切るしかない部分なのですが、本当に何回再テストになったか分からないくらいでした。苦労の末、ようやく英文法の難所を乗り越えてくれたときは、またひとつ成長した感じがしていました。

好きなんです。もう1年やらせてください
(高卒生コース開始)

 現役生のときは、早稲田大学のほか、関西の私大もいくつか併願していましたが、結果は不合格が続きました。愛知県内の私立大には合格しましたが、最終的にもう1年受験を続ける道を選ぶことにしました。

 実はご家庭の方針もあって、高卒生になったら坪田塾から大手予備校に切り替える方針でした。私自身はなんとしても一緒にがんばりたいという気持ちが強く、資料を用意しながら本人と何度もお話しました。最後はお母様に「(お子さんのことが)好きなんです。もう1年やらせてください」と言って頭を下げたら、不意に「よろしくお願いします」と言葉をかけていただきました。もうイイ歳したオジサンが女子の塾生に告白しているみたいで、今思い出しても恥ずかしいのですが、それくらいに私も必死だったのだと思います。

 一般に高卒生は環境の変化も大きく生活リズムをつかむのが大変だと言われます。本人の自己管理能力が重要になるので、私もどうなるかなと少しだけ心配していたのですが、朝も気持ちよく目覚めるそうで、坪田塾と自宅を往復する生活にもスムーズに入っていくことができました。

塾生が伸びるとき

 さて、坪田塾の「あるある」なのですが、塾生の学習が進んでいくと、次第に「ほめて伸ばす段階」から、先生たちと「議論する段階」へと向かいます。塾生が先生に自分の考えを伝えて、1つの事柄でもより多面的にみて一緒に考えていくところまで来れば、間違いなく成績も伸びてきます。この生徒さんの場合も、高卒生になってから明らかに議論する場面が増えてきたこともあり、「これから伸びていく」という手応えを感じていました。

 9月以降は、再び過去問対策を中心に据えました。関西の私大をはじめ、いくつかの志望校の過去問を解いていきました。日本史で点数が伸びないこともありましたが、英語の得点が合格点を超えるので、日本史の分をカバーできるようになってきました。入試本番までには志望校の多くで安心できるラインまで来ていましたし、たとえば同志社大学の過去問でも合格圏内に入ってくるほどの仕上がりを見せていました。

思わぬ番狂わせも

 しかしながら、二度目の大学受験では思わぬ苦戦も強いられました。1月の共通テストでは英語の得点で8割を切ってしまっていました。共通テスト利用入試で出願していた志望校も、残念ながら不合格となってしまったのです。でも、本人の持ち前の明るさとメンタルの強さもあって、私大の一般入試にはよい状態で臨むことができました。

 そしてついに!! 関西の志望校で1つ合格をもらうことができたのです。この時点で、本人の中でもようやく進学先が決まった感じがあったようで、ご家庭では合格のお祝いとして好きなご飯を食べにいろいろと連れて行ってもらっていたそうです。

慶應SFCの合格発表

あとは小論文次第…

 浪人時代の本命は、慶應義塾大学でした。映画「ビリギャル」と同じく文学部と総合政策学部に出願することになります。過去問をやっていくうちに、文学部よりも総合政策学部との相性がよいことが分かってきました。慶応義塾大学の総合政策学部は英語と小論文の2科目です。もともと英語で逃げ切る作戦であり、「小論文次第・・・・・。受かってくれれば、うれしい」と祈るような気持ちでおりました。
 そして、慶應合格発表の当日、本人は塾に顔を出してくれました。言われるままに携帯の画面をのぞき込むと、なんと「合格」の文字が浮かんでいるではありませんか!そのとき、私は「!!! うわぁー。受かっている」といった感じで、たぶん言葉にもならないような反応を見せたのだと思います。実際の結果は英語よりも小論文がよかったみたいで、英語でわずかに足りなかった分を小論文で挽回して合格したと私はみています。ともあれ、実際に合格したのがわかると、お母様は大絶叫されたそうです。お父様も驚いていて、本当に衝撃的だったようです。本人は、「ビリギャルと同じになった~」と喜んでいました。

合格後の振り返りは?

 しばらく経ってから、また本人とお話する機会がありました。改めて受験対策を振り返ってみたのですが、浪人生活が始まってすぐの4月の段階で「長文和訳の上級」を毎日取り組めたのが1つのポイントだったようです。「難しいのをやれている!慶應より難しいのに!」と感じて、自信がついたと言います。また、「以前やった英文法の問題集の2周目を解いているうちに、ある時突然その理解がつながって、結果が出るようになった!初めて伸びた!成長した!って感じられた」ということです。反復学習をこなすことの大切さということでしょうか。

 あと、私の担当科目ではないのですが、本人の中では日本史を苦しみながらもやったことがもっとも達成感があったそうです。「『嫌よ嫌よも好きのうち』という言葉がありますが、あんな嫌だった日本史もちょっと愛着が湧いてます(笑)」と語っていました。

どんな言葉を贈りましたか

 これから進学するに当たって、私は「留年しない程度に遊んで人脈をつくってください」と伝えました。大学での学び自体も大切ですが、社会に出てから人脈がものを言う場面も出てきます。とにかく私は本人が望む大学に受かって本当にほっとしました。特に最後は本人の持ち前の明るさで、私自身が励まされることが多かったです。本人が必死にがんばってくれたおかげで、私自身もすてきな一年を過ごすことができました。